宿命は変えられないが、運命は変えられる
「宿命と運命の違い」って知っていますか?
いろいろな説があるとは思いますが、
宿命とは、
生まれながらに決められていて、
変えることが出来ないもの。
たとえば、「男に生まれた」「女に生まれた」
自分は女がイヤだから、男になりたい
といっても出来ないですね。
そんなことはない、
今は○○転換手術があるじゃないか
といわれるかもしれませんが・・
では、「今の時代に生まれたこと」
これは如何ですか?
たとえば自分は、明治維新に生まれて
坂本龍馬のように活躍したかった
といっても出来ないですね。
どんなに科学が発達しても、
タイムマシンを作ることは
出来ないからです。
今の両親から生まれた
というのも宿命です。 どんなに怖くて、イヤなオヤジでも、
「隣のおじさんの子に
生まれてきたかった」は、
出来ないですね。 人として生まれたのも、
日本人として生まれたのも宿命です。
こうした生まれながらに定められていて、
動かすことが出来ないもの
これが宿命です。
で
願いが叶った直後、 神はあなたの心の中まで見ている。
願いが叶った直後、
神はあなたの心の中まで見ている。
普段不信心な人でも、
選挙に臨む時は、 選挙事務所に
急遽神棚を作ったりしませんか。
事務所には大きなだるまが
置かれていて、
当選と同時に目を入れたり。
しかし・・気になることがあります。
当選した後は、
その神棚どうするのでしょうか?
政治家の事務所に
必ず神棚がある・・とは
限らないところを見ると、
後は処分しているのでしょうか?
それも神社にいって
きちんとお礼(おれい)をして、 その上でお札(おふだ)を
お返ししたいと申し出ているのでしょうか?
まさか勝手に取り外し、
不要品回収業者に渡す・・
などということは・・・
いくらなんでも、
していないと思いますが。
政治家になったはいいが、
さんざんに叩かれて
退陣という人もいます。
当選した後こそ、
政治家としての正しい判断が出来る様に、
神様と繋がっておくべきと思うのです。
誤った判断をせずに、
外国の方と交渉する際にも
「神の加護」と「神の後押し」の違いとは
運勢を強くするためにも、
「神様の加護」と「神様の後押し」
は、ぜひとも欲しいですね。
「神の加護」と「神の後押し」は、
微妙に違います。
人知を越えた力で
「不思議と守られた」という
「加護」はあっても、
「何もしなかったけれど、
なぜが仕事が上向いた」
といった、後押しは
ほとんどありません。
ざっくり言うと、
「加護は、守り」
「後押しは、攻め」の時です。
攻めには、あなたの思いと
行動が是非とも必要です。
「神の加護」は、
時として親や先祖からの
徳の貯金があって、
得られるときがあります。
しかし「神の後押し」には、
自分の努力や行動が
無ければ得られません。 神様の意に叶った内容で、
計画し、行動する。
それがある一定の温度まで
高まったときに得られることが
多いのです。
あなたが今までに、
「夢中になってしていたら、
あるときからびっくりするほど
トントンとうまくいった」
という体験があれば、
無意識でも神の後押しを
得られる
神様に願いを叶えてもらう法 その2
神様への大事な祈願があるときには、
正式参拝がいいのですか?
正式参拝の時に
なにか心がける事はありますか?
今日は、このご質問に答えて
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神様に大事な願いがあるときには、
「正式参拝」をした方がよいです。
まず服装は、男性ならば
基本は、背広ネクタイ着用です。
なぜなら神様は、
常に正装しておられるからです。
そして本当は、神様への祈願は、
「祈願と同時に、その正否の答えが出る」
といわれるほど、
祈願する人のそれまでの準備と
祈願の時の(神主さんと祈願の人)の
思いが大事です。
だからそれを繋ぐ神主さんは、
日々禊ぎをして神の前に立ちます。 しかし大きな願いの場合
神様に一回の祈願で、 すべて叶えてもらおうというのは、
実はかなり無謀な行為です。
それは神主さんに
仲立ちして頂いても、
「受け手、七割」といわれて、
祈願する当人の思いが
七割を占めるからです。
自分の願いをそれだけ凝縮して、
神様に願いを叶えてもらう法 その1
神様に願いを叶えてもらうコツは、
ありますか?
今日は、このご質問に答えて
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祈願をすると、必ず「あること」を
神様から問いかけられます。
この返事が出来るかどうかが、
神様に願いを叶えて頂けるかどうかの
最初のハードルですので、
今日はそのご紹介をします。 「神様の声なんて聞こえないですよ」
と言われるかもしれませんが、
この問いかけは、ほぼ同じです。
それは「この祈願を叶えた時、
あなたは、何をするつもりか?」です。 たとえば「大学に合格出来ますように」 『大学に入った後で、なにをするのか?』 「さぁ、
今は受かることしか考えていません。
まずはバイト、そして友達との旅行・・」 『専門の法律はどうするのか。
バイトや旅行ならば、
何も大学に行かずとも出来る』 「選挙で当選できますように」
『政治家になった後、何をするつもりか』
「シロウトなので、これから勉強します」
『準備をしてからにせよ』 「社長になりたいのです」
『社長になって、何を
先祖供養は、血の繋がりのある方を大事にした方が良いのですか?
先祖の供養の話で
お彼岸でお墓参りをするとき、
気をつけることはありますか?
「命と血を受け継ぐ」その感謝
という話を読み、気になりました。
私は、養子です。
(妻は繋がっていますが)
自分は○○家とは
血の繋がりはありません。
その場合の先祖供養は、
どちらを大切にしたらいいですか?
血が繋がっている方を
大事にしたらいいのですか?
今日は、このお問い合わせに答えて。
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先祖からの繋がりには、
二通りあります。
それは、「血統」としての
肉体的な血の繋がり、
もう一つは「霊統(けいとう)」
としての、霊魂(れいこん)の繋がりです。
これは、先祖からの魂の繋がり、
それを受け継いでいく
ということです。
血の繋がりは大事ですが、
霊魂を繋ぐことも、
同じくらいに大事です。
正式には、結婚式、
あるいは養子縁組の儀式で、
霊統を繋ぎ、
お墓参りなどで、
その報告と挨拶をします。
同じ墓に入りたくない、という妻にどう接するか
妻が、今は一緒に暮らすけれど
死んだ後は、自由にさせて欲しいといいます。
どうも仲のよい友達と、
一緒に入るお墓の検討をしているようですが
どう考えたらいいでしょうか?
今日は、このご質問に答えて
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答えにくいご質問です。
それはあなたが、奥さんを
満足させていないから。
ですが「入りたくない」といっているのは、
どんな気持ちなのかですね。
奥さんは、血の繋がりという点では、
確実にあなたの親とも、
先祖とも繋がりはありません。
だから「この世だけのつきあい(ガマン)
で勘弁して欲しい」
ということになるのでしょう。
これが実の親子ならば、
「自分もいつかこの世を旅立った時には
親と同じ墓に入り、
もう一度親に会えるような気がする」
と思うかもしれません。
しかし夫の家の墓となると、
「亡くなった後もう一度、
会わなければならないのだろうか?」
「お墓って骨壺どうしが、
くっつくように置か
実家のお墓が遠くて、なかなかお参りに行かれないときは?
「お彼岸には、お墓参りにいくとよい」
と言われましたが、
実家の墓が遠くて、
なかなかお参りに行かれません。
何かいい方法はありますか?
今日は、このご質問に答えて。
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実家のお墓が遠い。
だから直接お墓参りに行かなくても、
何かよい方法はないものか・・
と、考えはじめると、
「バーチャルお墓参り」などが、
出てきそうですが・・
「行かなくてもすむ、
何かいい方法は?」
と考える前に、
まず「人は、死んで
この世から肉体がなくなっても、
霊魂は不滅である」
ということを知って下さい。
それを前提にして、
どうしたらいいかと考えてほしいのです。
また誰しもが、
自分の幸せや開運を望みますが、
自分に命を繋いでくれた
親や先祖をないがしろにしての、 開運や運勢強化は、
基本あり得ないと思いませんか。
だからお墓参りをどうするかも含めた
早いうちからの人生設計が、
本当は必要だと思うのです。
しかし
お彼岸でお墓参りをするとき、気をつけることはありますか?
お墓参りの時に、
気をつけることはありますか?
今日は、このご質問に答えて
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お彼岸でお墓参りの心得という前に、
先祖供養の心得について、
少しお話ししたいと思います。
先祖供養は、
亡くなった先祖の供養と同時に、
私たち自身の命と血に対する感謝です。
数えきられないほど大勢の人(先祖)が
私たちが生まれる前に、
生き、そしてこの世を去っていきました。
その中の一人が欠けても、
今の私たちは存在しません。
ですから先祖供養は、
顔見知りのわずかな人だけと
思ってしたのでは、
半分もその意味をなさないのです。
お墓参りに行くときに、
「おじいちゃんのお墓参りに行こう」
といって出かけると、
供養を受けられるのは
「おじいちゃん」だけ。
寂しい思いをする先祖がたくさんいます。
先祖の方、皆が供養を受けられるように
「ご先祖様のお墓参りに行こう」
といってお参りをして下さい。
しかし・・正直なとこ
神様に、母の安楽死を願い出た人の話
今日は、少し変わった話です。 神様に、お母さんの安楽死を 願い出た方の話です。 同じ立場の方からみたら 大変に重い話を例にとってしまいました。 ですから「神様の前では自分を偽らない」 という点だけに注目して 読んで頂いたらと思います。 「ウソつきは、泥棒の始まり」 とウソをつくことを 厳しく戒める言葉がありますが、 人は、神様の前でも
つい自分を偽ることがあるようです。 しかしそれは時として
自分で自分の首を
締めるような結果になります。 こんな事がありました。 「母の身体が、どうかよくなりますように」
という祈願に、新幹線などを使って
五時間以上もかけて来られた方がいました。 しかしどうもその方の願いが
神様の前で「ぴたっ」と合わないのです。 神様からも、
「(この方の)願いは別にある」
と出られたので、 失礼ながら
「お母さんは何歳ですか?
今、どんな具合なのですか?」
とお尋ねしました。 「母は、現在85歳で、もう10年近く
寝たきりに近い状態です。
最近はかなりひどい痴呆も出ています」 あれ?この方のお母さんは、