神がかることは、経営の赤信号か?その1
経営者は、最終的には一人で決断し、 その責任を持ちますが、 「本当にこれで良かっただろうか」 ということは、決断した後でも、 常に頭の中にあると思います。
その判断を助け、支えてくれるのは 何でしょうか。 メンターのアドバイス、 諸々の情報、 今までの自分の経験・・ そこに出来れば、神様に 「これで正しかったでしょうか」 と問いかけたいと思う時。 姿は見えなくても、 声は聞こえなくても、 誤りのない答えを得られたら・・ これは、どなたでも、 密かに願っているのでは ないでしょうか。 経営の判断は、冷静に そしてある面では、 非情な要素も持ちます。 それは経営者がどんなに 身を切られるような思いの中で、 決断したことであってでもです。 その時に、 神にその判断の是非を 問いかけたいと思うのは、 心ある方ならば、当然なこと。 神ならぬ、人が判断したことには、 前から見たときに良くても、
後ろから見たら穴だらけだったり する危険性があるからです。 神に繋がり、問いかけたいと思うこと、 時には、許しを得たいと思うことは、 決して神かがったことでもなければ、 人の弱い面などではありません。 むしろ誠実な面といえます。 しかしなぜ 「あの人は、神がかったのか」と 言われると危険なのでしょうか。 それは明日のブログで。
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