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第三十二話 お墓参りの時の言葉掛け

前話のお彼岸のお話に対して、ご質問をいただきました。 T様より 大事なお話ありがとうございました。 僕には、親友で三人、既に先立った奴らがいます。彼らに言葉を届けるにはどうすればよいでしょうか。時間は経ちますが、何もしてやれなかったことを今でも後悔しています。どのような言葉を添えればよいでしょうか。

答え お友達に対しては、お墓に詣でて差し上げた時 「今日は、お彼岸なのでお参りに来ました。何もしてあげられなくてごめん。しかし出会えたことに感謝している。本当にありがとう。」 と言葉をかけるのにとどめて、もしお酒が好きな方だったらそれを供えるのもよいかもしれません。(十分くらい供えて持ち帰り、お墓には残しません) ただ「自分に出来ることはないか」は、禁句です。 友人としてあの世の方にして差し上げられるのは、ここまでだからです。それ以上の何回忌などの供養は、家族にしか出来ません。家族の方に相談して(家族がOKなら)出席することは出来るかもしれません。 でも友人の方は、自分を覚えていてくれた、自分との出会いに感謝してくれているということをとても喜ばれるでしょう。 また折角お友達のことを思ってご連絡頂いたのですが、あの世に旅立った方に対しての供養は、まず自分の家の先祖の供養をするのが最優先。自分が今生きているのも、大勢の先祖あってのことだからです。 まずあなた自身がしっかりと、自分の先祖のことをして、足元を固める。そして亡くなられた方の分まで、今まで以上に活躍して頂くことだと思います。 亡くなった方は、どんなにこの世でしたいことがあってもすることが出来ない。でもあなたは出来ます。どうかお友達の分まで、今を力強く生きて、「君の分まで頑張ったぞ」と胸を張っていえるように頑張って下さい。 またこれは主人の父から聞いた話ですが、義父は、戦時中満州に行っていたそうです。生死を共にした仲のよい戦友達と、「この中の誰かが死んでも、祖国にもし生きて戻れる人がいたときには、絶対に互いの墓参りに行こう」と誓い合ったのだそうです。 その時の部隊は三つに分けられ、満州に残る部隊と沖縄に出撃する部隊、高知で沖縄への出撃を待つ部隊とに分かれました。 義父は高知に配属され、そこで終戦を迎えたそうです。満州に残った人達は、ソビエトに抑留されて大勢亡くなり、沖縄への方は玉砕されたそうです。 お彼岸の時に、義父が生き残った仲間と共に戦友の墓に詣でたとき、本当に不思議な事がおきました。 お線香に火をつけた時に、煙がすーっと真っ直ぐに立ち上ぼり、目の高さ位になった時にぐるっと輪を描くように巡り、ちょうど仲間と円陣を組んでいるような感じになったのだそうです。 そして霊感は決して強くないはずの義父の目に、この煙のここに戦友の誰、ここには誰とはっきりと感じたのだそうです。その時に一緒に詣でた人は全員それを感じ、あいつとあいつがあそこにいたと、軍歌を歌いながら全員が涙が止まらなかったという体験があるそうです。

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