お盆の迎え火・送り火の時間は、何時ころですか?
お盆の迎え火は、
13日の夕刻に家の前で焚きます。
これは 家筋の先祖の方たちに
その火を目印に集まってもらうためです。
だからその時に、一番大切なのは
先祖をお迎えするという心。
「○○家のご先祖さま、
今日から七月(八月)のお盆です。
お迎えの火を焚かせて頂きました。
どうぞこの火を目印においで下さい。」
と呼びかけます。
火を焚く時間は、
迎え火は送り火で少し違います。
迎え火の時間は、
薄暮の頃、日が落ちて少しした、
まだ明るさが少し残っている頃にします。
送り火はもう少し遅い時間、
7時過ぎの日がとっぷりと落ちた頃です。
その理由は、
年に一度の機会なので、
先祖に「お待ちしていました」
の心でなるべく早い時間にお迎えする。
先祖が帰る前には、
その前に夕食などを出して
なるべくゆっくりとくつろいで頂く、
そんな先祖に対するもてなしの心からです。
それはお盆の飾りの中にも あらわれています。
藁の馬と
茄子に楊枝を刺して牛に見立て
先祖供養のならわし
日本人は昔から、
「人は亡くなっても、 その霊魂は生き続ける」
ということを自然に感じてきました。
ですから、生前の故人を思い出して、
「ありがとう」 「一生懸命育ててくれたのに、
ろくな親孝行もできずにごめんなさい」 「あの世でも元気で過してください」 などと語りかけることができるのです。
お彼岸は春と秋の年二回あり、
お中日を挟んで七日間です。
お盆は地方によって違いがありますが、
七月か八月の十三日から十六日です。
亡くなった人が
あの世から出てこられるのは、
一年の中で、本人の命日、
春と秋のお彼岸、
そしてお盆の年四回だけ
といわれています。
お彼岸には墓参りをして、
先祖の供養をし、
お盆のときは迎え火を焚いて
家の仏壇にお迎えして供養します。
だからお盆の時期は、
お坊さんに家まで来てもらって
お経をあげてもらう家も多いですね。
また地域によっては、
お墓まで先祖を迎えに行く
というところもあります。
亡くなった方が初めて迎えるお盆を
本物は、繰り返しに耐える
情報があふれている時代ですが、
そんな中で人生の指針になる方や
その方の本と出会ったとき、
さーっと読み流し、
聞き流しにしてしまうのは、
少しもったいないですね。
時代の流れと、逆行するようですが、
相手からその真価を学び取りたいと思う時の
読み方・聴き方の提案です。
昔から「読書百遍、意自ずから通ずる」
と言う言葉がありますね。
同じものを繰り返し百回読めば
書いた人の意を自然に受け取れる
という意味ですが、
この情報のあふれている時代に、
そんなこと出来るわけがない・・
でしょうか?
いえ、これだけ情報のあふれている
時代だからこそ、
百回でも繰り返し読む価値のある本、
聴く価値のある話に
出会うことが大切なのです。
それは人生を通じて、
仕事に悩んだとき、
行き詰まったとき、
あるいは人生の方向を決めたいとき
新たな決意をするときの
指針となりえるからです。
そんな本、あるいはそんな人に
出会っていますでしょうか。
本物は、繰り返し
相手の本気度を見抜くには
「本気でこちらのために
考え、話してくれる人と
縁を持つには、
どうしたらいいですか?」
こんなお問い合わせを頂きました。 それにお答えする前に・・
あなたは常に、あなたに接する人
特にお客さんになる人の為に、
本気で考え、行動していますか?
もしあなたが、
常にその思いで行動していたら、
同じ思いで
行動している人のことは、
即座にわかります。
「あ、この人、本物」と。
だから自分自身が、
どれだけの本気度で
顧客や生徒に接しているか、
これが相手の本気度を見抜く力
をつける一番の近道です。
あなたは、
相手が大事なヒントを求めて
話を聞きにきたときに
それに答ええるだけの
本気度を出して答えていますか?
そうはいっても忙しい中だし・・
もし、あなたが
忙しさや慣れによる惰性で、 かつてのような本気度が
少し薄れていたとしたら
ぜひ切り替えて下さい。
そうしたら必ず
本気で考え、答えてくれる人と
縁を持てるはずです。
神の教えでは
その判断は正しいか?判断を誤らない鏡とは
人に相談を持ちかけるときには、
自分で答えが出せずに、
誰かに答えを出してもらいたい
という場合と、
答えは、自分の中にあるけれど、
それが誤っていないかどうかの
確認をしたいという場合があります。
どんなに優秀な人でも、
その確認は、必要ですね。
なぜなら自分で自分のことは
見えないからです。
自分の背後は見えないからです。
鏡に映すように、
誰か、信頼できる人に
見てもらい、
話を聞いてもらって、
自分以外の目線での確認をする。
そして自分自身の覚悟と向き合い、
心の整理も同時にする。
これはとても大事なことですね。
だからそんな「あなたの鏡」
になってくれる人は、
ぜひとも得ておきたいものです。
トップになると、少しくらい違っても、
誰も注意してくれません。
だからその気づきをくれる人がいたら
その人はあなたにとって宝です。 ところで神社にも
鏡がありますね。
信頼できる人に、
自分の生き様、姿を
映し出してもらうことも大切ですが
「自信がないのです」という人への対応は?
「自信がないのです」 もし部下からこんな言葉が返ってきた時、
あなたならどんな対応をしますか? 「いいから、やれ。 まずやってみろ」でしょうか? この「自信がありません」
ことばは同じですが、 「でも、やりたい」
と思っている人と、 「だから、やりたくない」
と思っている人がいます。 一つは、
「実はやりたいと思っているけれど
今の自分の実力で乗り越えられるだろうか
その自信がない」 もう一つは、
「自信が無いといっておけば
やらされなくてすむかもしれない。
また失敗しても許されるだろう。 最初から自信が無いと
断っているのを承知して
やらせるのだから」 ためらっている人の背中を押す言葉とはで
はじめから自信がある人など一人もいない
やると決意するかどうかだ
と書きましたが、 これは親の後を取る子供の場合を
例にしたからです。 子供は、表向き逆らったり、
無関心を装っても、 親にほめられたくないと
思っている子は一人もいません。 そして子供が
自分の仕事のあとを取るとなって、
喜ばない親は基本いません。 だ
人に言えない悩みを、どう解消したらいいですか?
自分の悩みを、
誰かに聞いてもらえるときには、
それでスッキリ出来ますが、
口には出せないこと、
誰にも言えない悩みも
この世には存在しますね。
もしそんな悩みを
自分一人で抱えている時には、
それだけで重たいストレスになります。
そんなとき、
それを手放すことは出来なくても、
自分の心を
軽くする方法はあるのでしょうか?
はい、あります。
それは神仏に託すこと。
たとえば神社にお参りなどです。
お風呂などで身を清めて、
(お風呂の禊ぎについてはこちら)
「今の、この問題を、
どうか乗り切ることが出来ますように。」
と心から願うこと。
自分にその力を授けて頂くことを
真摯に願います。
自分一人で支えきるには、
重すぎること、辛すぎること、
そんな時、人知を越えた力にすがる。
そして神様に支えて頂き、
あなたの心からどうか軽くして下さい。
「辛い」という字は、
「十(神)」の上に「立」つ
と書きます。
(十は、神様をあらわすこ
漫然とした不安の原因は、どこから来るのか
不安の原因が
明確なときはいいですが、 それがはっきりせずに、
どこかモヤモヤしていることは
ありませんか?
その原因はいろいろありますが、
たとえば「自分の生き方は
これでよかったのだろうか?」
という生き方に対しての不安。
これは具体的には、出てきません。 子供の将来のこと、
子供との関係の改善
健康のこと
経済的なこと
このどれにも属さないことだからです。
しかしこれは漫然とした不安の
かなりな比率を占めます。
「自分の生き方は、
これで良かったのだろうか?」
とくにある程度成功した方が、
漫然とした不安を感じるとき、
人生で何かやり残していることが
ある可能性があります。
「果たして成功できるだろうか」
という切実な問題からは、
卒業しているからです。
それは仕事面でのことというよりも、
社会的な貢献に関わる可能性が高いのです
もし漫然とした不安が浮かんだときには、
お休みの日などに
「自分は、今のこと以外にも
何かすべきことがあるの
福の神と疫病神、縁を持つのはどちら?
福の神と疫病神、
どちらが歓迎されるかは
言うまでもないことですが・・
これは人の世界にも
当てはまると思いませんか?
人に福をもたらす人は、
人の世界の福の神。
しかし自分では気がつかないだけで、
疫病神の役目をしている人もいるのです。
たとえばこれは人の身体によくない
と知りながら、
危険な食品や住宅などを
販売している人。
家族には絶対に食べさせない
という食品を扱っている人。
それによって、
人が身体の健康を害し、
人生の幸せが奪われていくのであれば、
それは人の世界のりっぱな疫病神・・
でもわからなければいいや、
自分さえ良ければ
自社さえ儲かれば
それでよしとしていると、
類は友を呼ぶのたとえのように、
自分にあった「神」が近づいてきます。
コワイのは、人が見ていないところほど、
「神」が見て、その判定が下されるということ。
時間の早い遅いはありますが
人に福をもたらす人には、福の神が、
そして人に災厄をもたらす人には、
疫
自分で、自信を作り出す
人は、自分に自信があるときと、
そうでないときの差は、
これが同じ人なのか
と、思うほどの違いがありますね。
しかし世の中には、
自信を打ち砕かれるようなことは
たくさんあります。
自己防衛が必要ですね。
自信を持って
80%以上の力を出せる自分として
勝負できるのか、
自信を失い本来の力の
30%の力も出ない自分のまま
闘わなければならないのか。
ならば自分で自分に
自信を植えつけていきませんか。 他の人と比べて勝った、負けた
という自信では無く、
昨日の自分を何か一つでも
乗り越えられたら、
それは立派な自信になると。
昨日より今日、今日より明日と、
自分の人生を積み重ねていく。
そんな中から本物の自信は
生まれてくるはずです。
まずは一日の始まりに
誰にでもすぐに出来て、
効果バツグンなこと。 それは毎朝の笑顔です。
朝、顔を洗った後、
鏡に映る自分自身に 「おはようございます。
今日もどうぞよろしくお願いいたします。
今日もステ