経営者は、神とどう関わるべきか その1
経営者は、
神とどう関わったらいいでしょうか?
ちなみに私は、お正月の初詣以外は、
神様と関わったことはほとんどありません。
そして今まで神頼みは
一度もしたことがありません。
こんなご質問を頂きました。
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経営者が神とどう関わったらよいか
これはとても大切な事です。
しかしこれは一回のブログ記事では
とても書ききれないので、
まずは、年一度の初詣のことから・・ 初詣は、会社と住まいの近くにある
両方の産土神社に
お参りをするとよいです。
産土の神様は、
その土地に住んでいる人の
すべての祈願の窓口になって下さる
大変にありがたい神様です。
自宅と会社が同じところならば、
一つの産土神社ですが、
住まいと会社が、別のところにあると、
産土の神様が異なる場合があります。
(それを調べるには、
都や県の神社庁に電話して尋ねて下さい。
自宅、あるいは会社の住所を伝えて、
産土の神様を尋ねれば
すぐに教
なぜ、神様に祈願をするのですか?
今まで自分は、
ほとんど神頼みをしたことがありません。
しかし最近このブログを読むようになって、
神仏に対しての関心が出てきました。
そこで素朴な質問なのですが、
なぜ神様に祈願をするのですか?
祈願をすると、何がどう違うのですか?
こんなご質問を頂きました。
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本番を前にしたときならば、
「実力を十二分に発揮出来ること」
を願うためです。
まずは体調のこと。 試験でも試合でも、その本番に
風邪をひいて高熱が出ている。
下痢がひどくて立っていられない
歌手や講演会の講師が
コンサートや大講演会などの当日に
熱で声がかすれてしまった・・ これでは実力の半分も
発揮出来ないですね。 これは一つのたとえですが、
スポーツなど何かの勝負に臨むとき、
フィギュアスケートでも、体操でも、
おそらく金・銀・銅を取る人、
もしかしたら入賞圏内の人は、
ほとんどが実力伯仲しています。
そんな中で
誰が勝利者になるかとい
虫の知らせ?人が持っている危機察知能力
「虫が知らせる」
「なんとなく危険を感じる」
第六感といいますが、
もしそんな形で
何らかの危険を感じているのに、
世の常識に当てはめて
打ち消してしまうことはありませんか?
第六感と言うくらいですから、
視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚といった
五感以外のところで感じるものですね。
そんなモノがあるのか?
この科学万能な時代に・・
しかし人の能力は、
今、表に出ている
何十倍も何百倍も
あると言われています。
実は、意外に非科学的、
時には原始的と思われる中に、
人の命を守る大切な
アンテナが隠されていたりします。
虫の知らせ
決して無視しないで下さい。
今日も、ある方から
「今日は、何だか車に乗るときに
事故に遭いそうな
イヤな予感がしたのです。 だから運転中も
いつもより慎重に運転していました。
そうしたら途中で信じられないような
車線変更をしてくる車がいて、
あわやという寸前のところで
かわすことが出来ました。
虫の知らせというか、
助けて
神棚へお供えと、仏壇への供えは、どんなところが違うのですか?
神棚にお供えするときと、
仏壇に供えるときに、
どんなところが違うのですか?
心構えなどありますか?
こんなご質問を頂きました。
神様へお供えしたときは、
神様がそれを『食す』というよりも、
人々の供えたまごころに対して
神の恵みを入れてくれます。
毎年秋に『お初穂』といって、
『その年収穫した最初の稲穂』
を神様にお供えしますが、
「お蔭様で今年もこうして
立派なお米が実りました。
ありがとうございました」
という神の恵みに対しての
感謝の気持ちで供えます。
先祖に供えるときには、
「どうぞお召し上がり下さい」
とあの世で力をつけて頂く様な
気持ちで供えます。
目の前におじいちゃんがいて、
そのお好きなモノを供える
といった感じでしょうか。
おじいちゃんが、嬉しそうににこにこと
召し上がってくれている
そんな場面を思い描いて頂けたらと思います。 だから先祖が食する分
先祖に供えたモノは、
味が抜けます。
甘みのあるものでも、
供えた後、気が抜けたような、
先祖を大事にすることで、どんなメリットがありますか?
先祖供養をすることで、
どんなメリットがありますか? こんなご質問を頂きました。
先祖供養は、
あくまで先祖の方たちに対する
感謝の気持ちでするものですので、
次のようなテーマでお話しします。
「あの世と私たちの世界には、
どんな関わりがありますか?」 『この世とあの世は、
写し鏡』ともいわれ、
あの世で起きていることと
よく似たことが、この世にも起こります。
今回は、先祖にとっての家、
霊魂の依り代である
位牌のお話をしたいと思います。 しかしこれからの話を
怪しげと思う方は、
どうぞそのまま読み飛ばして下さい。 実際にあった話です。
親から引き継いだ仏壇と位牌を、
邪魔だからと燃やしてしまった人が いました。
土地や家、そして財産は 相続したのですが、
家の中の仏壇はいらないと。 それから程なくして
その人の家が火事になってしまい、
奥さんが大やけどを負ってしまいました。
先祖にとっての仏壇、位牌は、
魂の依り代としての家にあたります。 それを いきなり燃やされてしまった先祖は
お盆の送り火 言葉がけの注意点
お盆の時には、
先祖の人にいろいろな言葉をかけます。
それぞれ迎え火、送り火などに、
言葉がけがのポイントがあります。 送り火の時には、
こんな気持ちを込めて下さい。 イメージとしては、
遠方から親戚の人が尋ねてきて、
数日滞在したあと送り出すときの
感じと言ったらいいでしょうか。
人の世の親戚づきあいは、
なにかと面倒なときもあるので、内心
「やれやれ、やっと帰るぞ」
と思っていても、
表面では、にこにことして
「またどうぞ来て下さいね」
と送り出し、事なきを得ますが・・
あの世の先祖に対して
同じことは通じないと思って下さい。
心に思っていることは、
そのまま見通されるからです。
だから
「やれやれ、これでやっとお盆が終わる」
などと思うと、
「なんだ、こいつの先祖供養、
まごころは、ウソだったのか」
となります。
でもここで先祖が、
そのガッカリを味わってしまうと
地獄から抜けでられるための
切り替えは出来にくいのです。
また言葉がけの大切なポイン
お盆では、なぜ地獄からの人を迎えるのか?
お盆の時期は、
あの世の先祖の方たちとの
ふれあいの機会。
子孫である私たちが、
大勢の先祖の方たちに
孝養を尽くせる期間でもあります。
ですが・・こんなご質問を頂きました。 「いくら先祖でも、
地獄から来た人を家の中に
迎え入れるのには抵抗があります。
どうしても迎えなければなりませんか?」
たしかに「地獄から」と言われると
気持ちが引くかもしれませんね。 しかし長い人の歴史です。
人の世界でも、
同じ○○家一族といっても、
事業で大きく成功した人もいれば、
何らかの犯罪を犯した人もいるでしょう。
途中、戦争もあれば、
何か大きな災害などもありました。
そんな中で、生き延びるために
人のものを盗んでしまったり
人を殺めてしまった方も
いるかもしれません。
たとえば戦国時代。
戦の中で敵方と戦って
相手を倒したときには、
相手の首を切り落として
その首の数を手柄としていた
時代もあったようです。
現代で、人を殺したうえ
首を切り落として、
どこ
お盆のときに、先祖にお供えした食事は食べていいですか?
お盆の時に供えた食事は、
下げた後、食べてもいいですか?
こんな質問を頂きました。
お盆の時には、
いつもよりたくさんのお供物や
果物、食事などをにぎやかに
お供えをすることが多いですね。
だから気になると思います。
ですが結論から言うと、
お盆の時の食事・供え物は
一切口にしない方が無難です。
もったいないようですが、
「ありがとうございました」
といって、そのまま処分して下さい。
なぜなら地獄から出てきた人も
食べるからです。
亡くなった人が「食べる」というと
ヘンに聞こえるかもしれませんが、
亡くなった方は、
物体としての食事や供え物ではなく、
そこに込められている
「まごころ」や「霊(ひ)」を食して
栄養にするのです。
モノとしての形が残っているので、
「捨てるのはもったいない」となりますが、
これは遠くから一年ぶりに
親戚が尋ねてきて、
ごちそうを出したと思って下さい。
親戚の人に出した食事は、
食べたら無くなりますね。
あの
お盆で「地獄の釜の蓋が開く」とは
お盆の時期は
「地獄の釜の蓋が開く」といわれ、
地獄にいる人たちが
解き放されて出てきます。
えっ?ホント?まさか?
と思われるでしょうね。
では「地獄の釜のふたが開く」のを、
時代劇のあるシーンにたとえてみます。
牢屋が火事になったときに
囚人たちを解放するシーンを
見たことがあるでしょうか。
牢奉行は囚人に向かって、 「今から解き放ちをいたす。
三日後の夕方五時までに、
極楽寺に戻ってくるのだ。 そうすれば罪一等を減ずる。 しかし、時刻までに戻らぬ者は
草の根分けても探し出し、
きっと極刑にしてみせる」 と伝えたうえで牢の扉を開けました。
これに似ています。
「地獄の釜のふたが開く」
と、言われる以上、
「地獄の釜が閉じてしまう時間」
が必ずあるからです。
送り火と共に戻れば減刑、
帰らなければ極刑・・です。
お盆では、地獄の釜のふたが開いて、
解き放たれた先祖が
子孫の家に向かいます。
だから子孫の方でも
迎え火を焚いて知らせます。 そ
仏壇があるのに、お盆で「先祖を迎える」のはなぜか?
こんな質問を頂きました。 「仏壇があるのに、
なぜお盆の時は 「先祖を迎える」のですか?」
たしかに疑問ですね。
お盆の時は、
迎え火・送り火を焚いて
先祖を迎え、そして送ります。
「自宅に仏壇があるのに、
なぜ迎え火を焚いて
先祖を迎えるのだろう?」
お墓に先祖を迎えに行くという
風習がある地方もあります。
では仏壇の先祖とお墓の先祖は、
違うのでしょうか?
またお盆が終わって、
送り火で見送った後は、
仏壇の位牌は空っぽになって
しまうのでしょうか。 実は亡くなったすべての方が
位牌やお墓に入れるわけではないのです。
亡くなった先祖の状態は、 「お墓にも位牌にも入れる」 「位牌には入れないが、 お墓には入っている」 「お墓に入れないけれど、
地獄ほど低いところにいるわけではない」 「地獄にいる」 「あの世で行き先が見つからず 宙をさ迷っている」 の五つに分けられます。
これは遺骨がお墓に
納められているかどうかではなく、 霊魂として
そこに入れるかどうかの