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第三十一話 お彼岸が、なぜ大事なのか そして禁句とは

お彼岸は、年二回あります。春の彼岸と秋の彼岸。 共にお中日を挟んで約一週間です。 この時期にお墓参りに行く人が多いと思いますが、それにはどんな意味があるのでしょうか。 私達は、自分の父、母、祖父母くらいまでは、命日を知っていると思いますが、それ以前の方についてはどの位知っているでしょうか。曾祖父母、更に上の方達・・ほとんど知らないというのが本当のところでしょう。 ですが自分の先祖をたどれば、目を回しそうなくらい大変な数です。○○家先祖代々の霊位という位牌に家筋の先祖が本当に入るときには、一億以上の方が入るといわれるほどです。想像しにくいですね。 自分の家筋を辿っていけば、おそらく一年三百六十五日の全てにどなたか先祖で命日にあたる人がいるはずです。でも、その日がどなたの命日かわからないし、毎日法事をすることも出来ません。 お彼岸、お盆の時期が大事なのは、このこととも関係があります。

亡くなった方にとって、命日当日と、春、秋の彼岸、そしてお盆の時には格別の供養を受けられる時期といわれています。ですから顔も見たこともない大勢の先祖、命日がわからない先祖の方にも、この時期は、皆、供養を受けて頂けますので、なるべくお墓参りをして欲しいと思います。 そして普段足りない分というと罪滅ぼしのようですが、「○○家の先祖の方、今日はお彼岸ですのでお墓参りにきました。いつもありがとうございます」と心を込めて伝えましょう。 ただしお彼岸の時には、残念ながら地獄に落ちた人は受けることが出来ません。「地獄の釜の蓋が開く」という言葉があるように、年一回、お盆の時期だけとなります。 お彼岸の時には、お墓参りが原則ですが、その時に是非注意して頂きたいことかあります。それは何気なく使う言葉です。 「お彼岸だから、(先祖の)お墓参りに行こう」ならよいのですが、 「おじいちゃんのお墓参りに行こう」こう言ってしまうと、折角お墓まで行っても「おじいちゃん」だけしかその供養を受けることが出来ません。 ですが「おばあちゃんは?」「ひいおじいちゃんは?」外されたほとんどの人は、「せっかくここまで来てくれたのに・・」と残念に思うでしょう。 私達は、一番身近な人のお墓参りには、心を込めて熱心に通いますが、顔も見たことがない先祖のことはついつい忘れてしまいがち。 でも私達もいつかはこの世を旅立つ時が来ます。顔も見たこともない後の時代に生きる人に供養して貰うときが来るのです。人がこの世に生きていられるのは、本当に瞬きをするくらい短い時間。 「自分がして欲しいように、人にせよ」という言葉がありますが、子孫にして欲しいように、今、先祖に「させていただく」 お彼岸は、そんな先祖との心のふれあいの大事な期間でもあるのです。

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