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ホーム > 対談 > 対談-石山社中 十世家元 石山裕雅様と対談 第4章

第4章 「土蜘蛛の精」のお話

藤原美津子: 「土蜘蛛の精」は世界的に上演してもいいくらい、華やかな場面がありますね。投げる蜘蛛の巣は、すごい見せ場になります。

 

石山裕雅様: 誰が見ても「どうやってやっているのだ?」と興味をそそられる演出だと思います。いわばマジック神楽なのです。ただ、私はそんなに好きではありません。

 

先述の「幽顕分界」等の方が、覇権を争っているので、騙し合いや、色恋もあったりして、話が非常に深く、真理があって面白いのです。

 

ただし、心理劇になればなるほど会話は多くなりますが、セリフではなく和製パントマイムの「手事(てごと)」をいろいろ使いますから、分かる人でないとつまらないかもしれません。

 

藤原美津子:やはり、意味が分かる方が数段楽しいですから、解説が欲しいところですね。  「土蜘蛛の精」では、石山様が製作を依頼したという「土蜘蛛」の面(おもて)がとても印象に残っています。

対談

見せ場の蜘蛛の巣

石山裕雅様: 通常、「土蜘蛛」で使われている面(おもて)は「しかみ」という、しかめっつらをしている顔なのですが、それですと神楽では物足りないと考えて、鬼のような様子にしたのです。能で「獅子口」という面(おもて)があるのですが、その中で私が良いと思ったものをベースにして、顎をもっとしゃくらせ、角を付け、新たな面(おもて)を作りました。

 

角の生え方にもこだわっておりまして、よくある鬼の角の角度ですと敵を突けないと思いました。ですから、先端を下向きにして敵に向かう刃というかたちにしたのです。

 

藤原美津子:すごく迫力がある面(おもて)ですね。遠目で見ても、怒りの形相がよく分かります。

 

石山裕雅様: 「土蜘蛛」の話は、本来、土着の民を征伐したという理不尽な話です。「土蜘蛛」の方が先に仕掛けてきたから征伐したという脚色で、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)で楽しめるようになっていますが、本来はむしろ可哀想な話なのです。

 

歴史というものはあくまで勝者の歴史であり、勝者が正当化されています。ですから、この怒っている顔には、「何故、私たちを」という深い悲しみも潜んでいるのです。そういう思いも込めた造形です。

 

石山様が製作を依頼した「土蜘蛛」の面(おもて)

藤原美津子:これは、新しい時代を開いた面(おもて)ですね。

 

石山裕雅様: 一方的に退治されたくないという「土蜘蛛」の主張が、蜘蛛の巣をまくという行為にもなっている。必死な抵抗をしているお話なのです。

 

藤原美津子:その場面は舞台ではすごい見せ場です。やはり、面(おもて)の持つ役割というのはすごく大きいですね。

 

 石山裕雅様: 「人形は顔が命」というのと同じで、神楽も仮面劇ですから、面(おもて)が演出をすべて決めてしまいます。面(おもて)をつけないとその役にならないわけですから、御神体みたいなものですね。

 

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