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素晴らしい日本人に訊くシリーズ

高橋恵(たかはし・めぐみ) プロフィール

 

1942年生まれ。一般社団法人おせっかい協会会長。
3歳で父が戦死し、当時26歳の母のもと、3人姉妹の次女として育つ。その日食べるものに困るような貧乏生活を経て、短大卒業後は広告代理店に勤務。同社 を結婚退職後、2人の娘の子育てをしながら保険の外交員やさまざまな商品の営業に従事し、トップセールスを記録。その後、40歳で離婚。42歳で当時高校 生だった長女と共に自宅のワンルームマンションで株式会社サニーサイドアップを創業。その後、長女に託した同社は、2008年にジャスダックに上場を果た した。2016年には世界のPR会社19位(日本1位)にランキングされた。

 

60代は忙しく働く長女に代わって 孫育てに精を出し、70代となった2013年には一般社団法人日本おせっかい協会を設立。「愛のあるおせっかい」の必要性を説き、日々あらゆる場所でお せっかい活動を行うほか、全国各地の学校、商工会議所、企業などで講演活動を行う。自宅には連日老若男女様々な人が訪れ、「中野のパワースポット」として 親しまれている。世界中が「やさしいおせっかい」であふれ、社会が笑顔でいっぱいになることを心から願っている。
2016年7月に、新刊『笑う人に福来る』が文響社より発売される。

二人の娘を抱え、42歳でサニーサイドアップを設立された高橋恵氏。女手一つで子どもを育てるだけでなく、多くの方に幸せをもたらしてきたその生き方を、 本人は「おせっかい」と呼んでいます。社会に絆が求められている今、人と人はどのように接していくべきなのか。働き方もふくめて、幅広くお訊きしました。

第1章 ゼロから一を創り出す方法 
『人を通してはじめてビジネスが存在する』

藤原美津子: 一代で事業を起して成功されている女性経営者がたくさんいる中で、高橋恵さんは、お嬢様に引き継がせた後にも、悩んでいるお母さん方に力を与えようとか、 日本を元気にしようと、積極的な活動を続けていらっしゃる。それを自ら「おせっかい」と呼びながら、「誰にでも出来る簡単なことを、誰にも出来ないくらい 誠心誠意を込めて行う」ということを損得抜きで実践していらっしゃいますね。 

蘇れ日本人の会 会長 藤原 美津子

私はそれが、今の日本の中で忘れ去られているものではないだろうか、「おせっかい」という言葉を使いつつ、人を思いやる心や、自分のことを考える以前に人のために尽くす心を大切にしている姿勢は、まさに日本人の原点だと思うのです。

 

まずは、ビジネスのことからお聞きしたいのですが、実績のない新しいところでどうやって開拓していったのか、誠意と熱意 とでクリアしていったその過程には「損得抜きで相手に尽くす」という、巷のセミナーで教えているテクニックとかノウハウにはないものを感じるのですが…そ んなお話からお聞かせいただきたいと思います。 

 

高橋恵様: 私の会社に関しても、世間一般には、上場後の華やかな部分しか伝わっていません。私からすれば、ゼロから一にする、その立ち上げ時の大変さを、多くの人に伝えたいと思います。

 

こんなことがありました。ある企業から「コンピューターを使えますか?」と言われたのです。私は使えなかったのですが、誰かを雇えば可能だと思ったので、「出来ます」「やります」と言ってから人を探しました。

 

そのとき雇った彼が、とてもよくやってくれて。小さな会社でありながら、大きなクライアントに対しても、きちんと正確に仕事ができました。しかし、ある日突然、「辞めます」と言われてしまって。「僕は独立します」と。

株式会社サニーサイドアップ創業者

一般社団法人おせっかい協会会長

高橋 恵 様

対談

彼は当然、独立しても自分に仕事が入ってくると思っていたのでしょう。ところがクライアントの社長は、「この仕事は高橋恵が、頑張って、頑張って、取った仕事だから」と言ってくれたのです。

 

そのときはじめて、涙がボロボロ溢れてきたのを覚えています。 だからこそ、“ビジネスを通して人があるのではなく、人を通してビジネスがある”と思っています。

 

藤原美津子: とてもいい言葉ですね。 

 

高橋恵様: だから、人を通してやっていかなければなりません。勉強ができなくても、そんなことはどうだっていいのです。学歴も同じです。

 

では、社会に出て、どうやって道を切り開いていけばいいのか。人間はやる気さえあれば、どんなことでもできると思います。

 

人はみんな同じです。温泉に入って裸になれば、社長だろうと平社員だろうとホームレスだろうと変わりません。たとえいじめられても、仕返しなどしないことです。

 

藤原美津子: それが高橋さんの素晴らしいところだと思います。普通、いじめられたら、数倍にして返してやろう思う人のほうが多いはずです。

 

高橋恵様: 私は他人のお家で育てられ、いじめられました。当時、戦後の大変な時期にあり、一人余分に学校へ行かせてあげるだけでも大変なことだったのです。きっと、私のことを憎く思っていたはずです。

 

いじめられて辛い思いをしているとき、空を見上げるとたくさんの鳥が飛んでいて。あんなに広い空に、たくさんの仲間がいて、気持ち良さそうに飛んでいる。自分も、自由に飛べたらどんなにいいだろうなと思いました。

 

でも、鳥たちは自分で餌を探さなければなりません。たとえ餌をもらうことはできても、自分で飛ばなければならないのです。そう思ったとき、世の中に出たら、自分の力で自由に飛ぼうと決意しました。

藤原美津子: 壮絶ないじめを体験すると心が折れてしまう人が多いですが、高橋さんはその経験をプラスに変えていかれていますね。どうやって乗り越えていかれたのでしょ うか。これは今、いじめにあって、それを乗り越えきれずに苦しんでいる方も多いと思いますので、お聞かせいただけますか?

 

高橋恵様: 毎日、冷たい雑巾で掃除をしていたので、しもやけが全部くずれてしまいました。未だに痕が残っています。

 

十数年経ち、そのお祖母ちゃんが亡くなる寸前に、会いに行きました。そうしたら、「当時はすまないことをしましたね」と詫びたのです。それからすぐに亡くなりました。

 

そのとき、人間はみな同じだと思ったのです。

 

九州の知覧に行ったとき、相花という十八歳の青年について知りました。その彼が、特攻隊で死ぬ運命にあるなか、遺書を残しました。遺書にはこうありました。

 

「継母は僕が六歳の頃から来ていて、大変良くしてくれた。だけど僕は、今日、死んでいくこの日まで、一度もお母さんと言えなかった。だから僕は、死ぬ今日のこの日に、初めてお母さんと言います。お母さん、お母さん、お母さん……」。

 

そのとき、人を恨んではいけないということを教えてもらいました。

 

 

 

藤原美津子: 私にもこんな経験があります。叔父が施設に入った時のことです。お見舞いに行くと、「今まで辛く当たってすみませんでした。私は何だか神様に叱られているような気がする」と言ったのです。

 

周りにいるヘルパーさんは、「いよいよボケちゃったわね」という顔をしているけど、私はそうではないと思いました。やはり、旅立つ前は、そういうことを言わずにはいられないのでしょう。               

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『「片道切符」の意気込みで物を売ること』

藤原美津子: 営業にいくとき、片道の切符しか買って行かなかったそうですが、それはどうしてでしょうか。

 

高橋恵様: 自分が今日、絶対に売ると決めたら、カードやお金を持っていってはいけないということです。とにかく、何が何でも売って、お金を持って帰る。それぐらいのハングリー精神が必要です。

 

 

藤原美津子: クレジットカードがあるから、いざというときは借りればいいと思うのは良くないことですよね。

 

高橋恵様: カードを持たないことです。持っているから当てにしてしまう。だから持たないで行く。そのぐらいの覚悟でないと。

 

売れないと帰れないと思えば、誰でも必死になります。その覚悟が今の人たちにはない。私は昔、苦労したので、どんなことがあっても人にお金を借りるつもりはありません。

 

物凄い勢いで、熱意と努力で売るからこそ、相手に心が通じるのです。心と心が通じ合うと、そこに大きなエネルギーが発生する。だから、物が売れるのです。 

 

藤原美津子: 今、挑戦している方々に対して、「こうやって乗り越えてほしい」という想いはありますでしょうか?

 

高橋恵様: ちょうど三十一年前、独立した当時は、まだコンピューターもなく、クルマを売ってファックスとコピー機を買いました。七十万円の投資です。今でもその金額を忘れることはありません。

 

藤原美津子: 当時としては、大きな金額ですよね。 

高橋恵様: 駐車違反をして泣くくらいなら、車はいらないと思ったのです。ファックスとコピー機に変えて、留守番電話を設定して。応答の言葉も、「ただいま、スタッフ全員出かけております」と。本当は一人だったのですが。

 

お部屋は六〇七号室を借りていまして、上が空いたので七〇七号室も借りて。そのように六階と七階を会社にすれば、多少のハッタリにはなりますから。それぐらい気を使って頑張っていましたね。

部屋には、あの中田英寿さんのサイン入りユニフォームが…

藤原美津子: 営業活動はどのように行っていたのですか?

 

高橋恵様: 一〇四で電話番号を調べ、端から電話をしていました。それこそ会ってくれるまで。当然ですが、会ってくれない人の方が多いのです。

 

そこで私は「千年も万年も待ちますから、どうか会ってください」と言っていました。そう言うと、心意気が相手に伝わり、「僕の方が千年も万年も待てないよ」ということで会ってくださる。

 

会ってもらったらこっちのものですよ。熱意を伝え、それでもダメなら「何年生まれでいらっしゃいますか?」「どこに住んでいるのですか?」など、とにかく共通点を探す。案外、見つかるものですよ。

 

藤原美津子: 今、雑談力などのコミュニケーション力があらためて問われていますよね。

 

高橋恵様: 人を通してこそのビジネスです。人間を知り合うこと。それが大事です。人と人との心が通じるからこそ、立ち入った話もできる。

 

だから、言ってみる、やってみる、行ってみる。とくに今の人は、知識という武器を持つだけでなく、行動の武器が大事だと思います。

 

藤原美津子: 高橋さんはとにかく行動が早いですよね。お会いしたその日にメールがくる。お手紙がくる。あの早さは、ぜひ見習おうと思います。

 

高橋恵様: やっぱり、早い方がいいですよね。手紙でも、嬉しいという気持ちはその日のうちに伝えるべきです。すぐに書けば、行間と行間の間にその人の心が入るのです。それで受け取った方も嬉しくなる。

 

一か月ぐらい後に「あの時はお世話になりました」と手紙を出しても、「何をお世話したのだろう?」と思われてしまえば、心がつながらない。だから、早い方がいいのです。

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『ちょっとした工夫が現状を打開するカギになる』

藤原美津子: ゼロから一を作るのは、本当に大変なことだと思います。

 

高橋恵様: 本当に大変でした。三百万のお金を作るのに、借金もせず、自分で貯めました。いろいろなものを売りましたね。カツラやウィッグも。ある男の社長が、「どうしても、女性向けのカツラが売れない」と言うわけです。

それで私は「わかりました。私に百個貸してください」と申し出ました。でも、そこから悩むのです。「借りたはいいけどどうしよう」、と。上り線のいちばん上にあたる東京駅に着くまでに考えようと思いました。

 

電車でいくつかの駅を過ぎていく。ホームを降りる人はたくさんいる。ビルもこんなにいっぱい。そうした光景を見ていると、「百個くらいなんてことない」と思え、気が楽になりました。

 

それで、とある有名なビルディングの一階に行き、受付で「こういうのがあるから見てほしい」と話しました。そのとき私は、「その子を変えてあげたい」という一心だったのです。

 

「このカツラをかぶったら似合うだろうな」と思ったら、とにかくサンプルを持って帰ってもらいたくなり、「トイレでサンプルを見てみませんか?」と誘ったのです。そうしたら来てくれて。そこに鏡があるわけです。

 

どれをかぶっても「素敵!」とほめる。ロングヘアもオオカミヘアも帽子も似合うとやる。すると、トイレに入ってくる人がみんな引っかかる。そのうち上司まで入ってきて。

 

上司がやっているから、群集心理で、「あら、いいものがあるわね」と言って被ってくれる。結局、「三つ買えば三か月払いにしてあげる」と提案したら、結構売れたのです。

 

今は、セキュリティも厳しいし、そんなことをする人もいません。ただ人間はやろうと思ったら出来るのです。出来ないという理由を先にもってくるから出来ないだけ。出来ると思ったら出来るのです。

 

お金がなくても、売らなければ帰れないと思ったらやるのです。私も八時くらいまで売れなくて、辛い思いをしたこともあります。帰って玄関を開けたら、お手伝いさんが子供と一緒にこたつでみかん食べている。

 

「あの席は私の席なのに!」と思いましたね。

 

藤原美津子: 普通の人だったら、「頼むから買ってください」と引きずるけど、高橋さんゆとりと工夫があるのが素晴らしいですね。

高橋恵様: 保険の営業でも、名刺に「保険」と書いてあると、「ごめんなさい。保険は入っていますから」となるわけです。そこで、嫌がらずに名刺を受け取ってもらうにはどうすればいいのだろうと考えました。

 

その結果、名刺に空白を作り、筆ペンでいろいろな墨絵を書いたのです。そうしたらみんな「印刷ですか?」と言うから、「どれも違います。どれでも好きなものを取ってください」とする。そうすれば、とりあえず取ってくれます。

 

「そのように自分で工夫をすればいいのです。だから、営業はルンルン気分です。楽しいですよ。何をやるのでも、「これなら私はどう販売するだろうか」と考えるようにしています。 

 

藤原美津子: 凄い工夫ですよね。そして楽しい。私も高橋さんの名刺が1枚ずつ違うメッセージが入っていることに驚きました。今、子どもを抱えて働く方も多いと思います。その方たちの力となるメッセージをいただけますか?

 

高橋恵様: 私は五十年前から、女性は仕事をしなくちゃいけないと言い続けてきました。なぜかというと、離婚にしろ、病死にしろ、交通事故にしろ、夫と別れる可能性があるからです。

 

別れた時、生きていく力がないと大変です。たとえ紙切れ一枚でも、生き残れるかもしれないことを知ってもらいたいですね。

 

たとえば孫が、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんの所へ手紙を送る。そうすると、孫の葉書が今日も来ているかなと思うだけで、ポストを覗きにいくのも楽しくなる。それもまた生きる力です。

 

そういうふうに、人の心や気持ちまでを思いやることが、生きる力につながるのだと思います。

 

藤原美津子: その心こそ、次の世代が受け継いでいくべきことだと思います。お掃除をしたり、お手紙を送ったりするうえで、命を大事に、希望をもって生きてほしいという想いを込める。それが次につながります。 

 

高橋恵様: 自分のことを思ってくれる人がいるとわかれば、勇気が出ますし励みになります。年賀状だからと言って、一年に一回だけとこだわる必要はありません。

 

昔、娘と喧嘩して、泣かされてしまったことがありました。反抗期の頃でしょうか。私が泣いていると、ドアの下からするするすると黄色紙が出てきて。そこには「言い過ぎてごめん」と、書いてありました。

 

口に出して言えなかったら、書いてもいいのです。

 

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