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ホーム > 対談 > 対談-石山社中 十世家元 石山裕雅様と対談 第3章

対談

第3章 神話と里神楽
「天の岩戸」のお話

藤原美津子: 石山様が演じられる神楽の演目について、それぞれの演目で、見せ場として工夫されていることなどをお話し頂けますでしょうか?

 

石山裕雅様: 例えて分かりやすい演目とし「天の岩戸」「天の返し矢」「土蜘蛛の精」を取り上げましょう。

 

まずは「天の岩戸」。天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)、天宇受売(あめのうずめ)、思兼神(おもいかねのかみ)、この四役が、「天の岩戸」の主な役です。そして、まわりには「諸神(もろがみ)」たちがいますが、これは何人いてもいいのです。

 

藤原美津子: 神話の「天の岩戸開き」では八百万(やおよろず)の神々が集まっていらっしゃいますね。

 

石山裕雅様: 主役は天照大御神(あまてらすおおみかみ)なのですが、ほとんど岩戸の中に籠っていて、一番最後に出てくるだけです。主役ではありますが、あくまでも象徴的な存在です。思兼神(おもいかねのかみ)は非常に思慮深い神様であり、神様一人一人に指示する係なので、私たちは「渉外(しょうがい)」と呼んでいます。

 

一番大事な役は天宇受売(あめのうずめ)です。この天宇受売の舞が「神楽のはじまり」「芸能のはじまり」と言われていますね。この舞には「踊り」と「舞」の違いがありまして、大まかに言うと「踊り」は上下の縦の動きであり、「舞」は平行移動です。

 

「天の岩戸開き」に際して、天宇受売(あめのうずめ)が「踊る」ことによって神々に関心を持たせる時は「おかめさん」の面(おもて)を使い、「舞う」時は落ち着いた柔和な顔の面(おもて)を使います。また、それぞれ面(おもて)だけでなく、曲も違えます。

 

これは、地域とか客層によって使い分けるのです。田舎や子供向けに演じる場合には、派手に踊る「おかめさん」の面(おもて)、都会の目の肥えた客層の場合は舞う方の面(おもて)にします。

藤原美津子: 両方を観てみたいですね。

 「天の岩戸開き」の神話では、最後に「天晴れ(あっぱれ)、 あな面白(おもしろ)、あな手伸し(たのし)、あな清明(さやけ)おけ」と神々がおっしゃいます。

 

「天晴れ」とは岩戸が開いて、天が晴れた様子ですね。「あな面白(おもしろ)」とは明るくなって、それぞれの面が白くなって見えるようになったということ。「あな手伸し(たのし)」とは、子供のように手を伸ばして喜んでいる場面のことです。

 

石山裕雅様: なるほど、本当はそうだったのですね。

 

神楽では、天宇受売(あめのうずめ)の舞の時に「諸神」たちが「あな面白、あなたのし、あなさやけ、おけおけ」と合唱し、また最後に「おけおけ」と言います。実はこれはずっと謎だったのですが、「楽しいままにしておけ」の「おけ」だったのです。最初の「天晴れ」は言いませんが、これはまだ舞っている最中に神々が合唱しているため、取ったのでしょうね。

 

ちなみに、三波春夫さんの「お客さまは神様です」という言葉も「天の岩戸開き」からきているそうです。「もともと歌や踊りを観て聞いて楽しんでいたのは、八百万の神様だった」というところからで、三波春夫さんが、天宇受売の役をやっているわけです。

 

藤原美津子: あの方のにこやかさは、そういう感じがしますね。「お金を持ってきてくれるお客様だから、神様だ」という意味ではなかったのですね。そのような深い意味が込められていたからこそ、大流行したのでしょう。

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天の岩戸 天宇受売(あめのうずめ)が、「舞う」時は落ち着いた柔和な顔の面(おもて)

「天の返し矢」のお話

石山裕雅様: 今は日本神話の教育をしていませんので、みなさん、いきなり「里神楽」を観ても難しいでしょう。しかも、神楽は基本的に台詞がありませんし、「手事(てごと)」という和製パントマイムでやります。これもある程度前もって教えられていないと「何をやっているのだ?」という感じでしょう。

 

藤原美津子: かつての日本人は神話をよく知っており、教養も、想像力もあって、「ああ、あの場面をやっているのだ」と分かった上で神楽や能の舞台を見ていたのですが、今は違います。だからこそ、解説が必要なのでしょうね。

 

石山裕雅様: 「分からない」イコール「つまらない」で片付けられてしまい、二度と観に来てくれません。

 

藤原美津子: そうすると、神話の紹介とセットで公演しなければいけませんね。「天の返し矢」の、天若日子(あめのわかひこ)のお話を知っている方も少ないでしょう。

 

高天原(たかまがはら)から遣わされた天若日子は、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定するという使命を忘れてしまって、大国主(おおくにぬし)の娘の下照姫命(したてるひめ)と結婚し暮らしています。そこで、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は雉(きじ)を遣して、戻ってこない理由を尋ねさせるのです。

 

しかし、天若日子は高皇産霊神から与えられた弓矢でその雉を射抜き、その矢は遠く高天原まで飛んで行きます。そして矢を手にした高皇産霊神が、「天若日子に邪心があるならば、この矢に当たるように」と誓約をして下界に落とすと、その矢は天若日子の胸に刺さり、天若日子はそのまま死んでしまうのです。

 

 

天若日子が高皇産霊神から与えられた弓矢で雉を射抜く場面

石山裕雅様: 天若日子は決して腹黒い役ではなく、女性に惚れ込んだ純粋な青年といった感じです。だからこそ、悲劇になる。悪者や三枚目に描かれていると、悲劇性が失われますから。義経と静御前の話に似ているのではないでしょうか。

 

実はこの天若日子、第二の使者です。第一の使者は天穂日命(あめのほひのみこと)なのですが、その末裔が出雲大社の宮司である千家家です。大国主を攻めていった神様の子孫が、大国主を祀る神社を守っているというのも、日本という国の面白いところですね。

 

この天穂日命は、お酒で失敗するという風に「里神楽」の台本では作られていますが、神話では、使者として行ったが媚びへつらって戻っていった、と描かれています。

 

藤原美津子: 神話の中ではたった一行の文で終わってしまいますね。

 

石山裕雅様: この部分を膨らませて話を作っていて、使者として行った天穂日命に応対するのが、大国主の息子の建御名方(たけみなかた)になっているのです。「国をよこせ」とやってきた使者に建御名方はすごく驚きます。

 

しかし、建御名方(たけみなかた)はなかなかの曲者で、すぐに追い返したら面倒なことになると考え、天穂日命(あめのほひのみこと)に提案するのです。「少し思案します、あなたも長旅でお疲れでしょうから、奥の部屋にお休みください」

 

次に建御名方は、部下である「ひょっとこ」の面をつけた三枚目の「もどき」と共にいろいろ思案するのですが、ここが神楽としては面白い見所にもなっています。結局、建御名方が天穂日命に酒を飲ませ、目を回して寝たところをやっつける、という策を思いつくことになります。

 

「もどき」は踊りながら酒を持ってくるのですが、天穂日命は「酒はいらない。国をよこしなさい」と迫り、建御名方(たけみなかた)は「この酒は私とあなたの友愛の印なのだから、少しでいいから召し上がってくれ」と訴えます。

 

そして毒味として、まずは自分が飲み「私の腹はまっすぐです」といっそう勧めるのですが、この酒は実はアルコール度数の高いきつい酒。「もどき」に注がせて、天穂日命に三杯ほど飲ませたところで、「高天原の舞はどんなに優雅なものか見せていただきたい」と願うのです。天穂日命はすっかりいい気分で承知し、舞っているうちに酔いが回って倒れてしまう。そして、最後は建御名方が刀を突きつけ、天穂日命を追い返します。

アルコール度数の強いお酒を建御名方に勧められて天穂日命が飲む場面をお話いただきました。

藤原美津子: よく考えた作戦ですね。楽しそうな舞台です。

 

石山裕雅様:天穂日命(あめのほひのみこと)のあとの、第二の使者が天若日子(あめのわかひこ)なのです。一人目は酒で失敗、次は女で失敗です。三部作になっていて、三番目が賭け事で失敗する話、「幽顕分界(ゆうけんぶんかい)」となります。

 

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「幽顕分界(ゆうけんぶんかい)」のお話

石山裕雅様:三番目は、高天原が誇る最強の使者・建御雷神(たけみかづちのかみ)を遣わして、問答無用で国をよこせと迫ります。

 

まず大国主が負けて、また建御名方(たけみなかた)が出てくることになります。今度は相当三枚目な感じの登場で、建御雷神を見て怖気付いてしまうのです。それでもなんとか、「力比べをして私が勝ったら出て行ってくれ、負けたら国を譲る」と提案する。つまり賭け事です。

 

この三部作はまさに、「飲む、打つ、買う」になっているのです。三番目の「打つ」で建御雷神が成功することになり、大国主は高天原に国を譲ります。

 

こういった「国譲り」を日本は二度しておりまして、これは世界史上でも他に例がありません。

 

藤原美津子: 外国でしたら滅ぼしてしまうところです。日本独特の良いところですね。

 

石山裕雅様:二回目の「国譲り」が明治の大政奉還です。これは日本独特のシステムである、天皇がいつつも、別に政権を預かっている幕府がいる、という構図があったからそういう裏技が使えたわけです。

 

古代の大国主の時代は、まだ国々が群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)している時代でした。それでも「革命」ではなく、「維新」で維持しつつ新しくしていった、引き継ぎながら新しくしていった訳です。

 

そして、「幽顕分界(ゆうけんぶんかい)」とはどういうことなのかと言いますと、「幽」というのは宗教的な意味合い、「顕」というのは政治です。

 

それまで政教一体だったものが、「国譲り」によって大国主が宗教的な意味の象徴として出雲大社に祀られ、政治は高天原に譲った。「分界」とは世界を分けることであり、「幽界」と「顕界」を明確に分けたということになります。

 

神楽では演目名によく漢字四文字を使うのですが、「幽顕分界」が「国譲り」をテーマとした神楽のタイトルになっているのです。

 

藤原美津子: 「幽顕分界」の意味の解説が入ると、すごく納得がいきますね。

 

紅白梅と老松の蒔絵の豪華な太鼓

石山裕雅様: この三部作があって、最後に「三神和合(さんしんわごう)」の演目をやる場合があります。「三神」は、建御名方(たけみなかた)と建御雷神(たけみかづちのかみ)、経津主(ふつぬし)あるいは鳥船(とりふね)です。

 

ちなみに、「里神楽」では建御雷神のことを「先攻め」、経津主あるいは鳥船のことを「後攻め」と言います。建御雷神が先に攻めて、逃げた建御名方を経津主が追う、それで「後攻め」なのです。

 

藤原美津子:神楽をやっている人にとっては「先攻め」「後攻め」なのでしょうが、一般の人には鹿島の神様が建御雷神、香取の神様を経津主、諏訪の神様が建御名方と言った方が分かるでしょうね。

 

石山裕雅様: 逆に「里神楽」をやっている人は、「先攻め」は建御雷神、それでどこの神様だ? という感じです。演劇として一人歩きし過ぎて神話から離れているところもあって、私はそれを引き戻そうとしているのです。「もっと神話や神道も学ばないといけません」と言っています。

 

 「三神和合」では、「先攻め」「後攻め」と建御名方が輪になって舞を舞います。勝った負けたではなく、うまく収まったということを表現しているのです。ここに「和をもって尊しとする」という日本の精神があるわけです。

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