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ホーム > 対談 > 鹿島神宮名誉宮司 上野貞文様 第3章

第3章 受け継がれる心 『子どもの心を育てる教育』

藤原美津子: 神様に通ずるだけの真心を日々尽くし続けるということは、言葉で言うのは易しいと思いますが、それを実際に実行することができる方が上野様の後に続いて下さったら、世の中が変わっていくように思うのです。 

 

ぜひ、これからの世代の方々のために、上野様のいろいろなご体験や気づきをお話しいただけければ幸いでございます。 

 

上野様のように、一朝一夕ではない、毎日の積み重ねによる、人としての揺るがない基礎のようなものを持っていらっしゃる世代に対して、私たちの世代以降というのは、道徳の授業もほとんどないですし、これからの若い人は、そういうことを習う機会そのものが無くなってしまうのではないかと危惧してしまいます。 

 

上野貞文様: 二、三歳のときの、躾いかんによって、基本を小さいときにちゃんと学んでいる方は、成人しても、そうはあんまりぶれないのですけど、大きくなってから躾けようとしても、親の言うことは聞かないし、反発するだけです。「三つ子の魂百までも」というように、二、三歳のころの、小さいときが大事なのですが、どうしても甘やかしてしまう。私も、もう一回やり直しをしたいくらいです。 

 

 

対談
  • 鹿島神宮名誉宮司 上野貞文様対談

それと、残念なことは、今の先生方がみんな戦後教育を受けられた方ばかりだから、関東地区の高校生の修学旅行では、伊勢神宮には全く来ません。

 

以前は、必ずお伊勢様をまずお参りして、それから、奈良京都と五日位の旅をしたものです。今はそれが一切ないのです。

 

藤原美津子: 今は、ディズニーランドとか、京都に行ってもおたべの実践学習だとかで、神社やお寺が入っていないと聞きます。 

 

ただ、私も今五十代ですけど、学校の教育の中で、「道徳や人の生き方」のようなことを基本的には学んでいないのですね。私が小学生の時は、日教組バリバリの先生に、「今の日本人はお人好しだから、サービス残業とか世の中のためになんて言っていると、あなたも出世とかそういうのに出遅れちゃうのよ。

 

どんどん人を掻き分けてでも上に行かなくちゃいけない。」と言われていました。私が小学生の時でさえ、そうやって先生に教わるような過ごし方をしたのですから、今はもっとひどいと思うのですね。

 

でも、ある研修の中で、「何のために学ぶのか」という話を学生さんにしたときに、「自分の天性を活かして、世の中のお役に立つために、だから自分を磨くために学ぶのですよ。」と話しをしましたら、「あ、勉強ってそういうためにするのか。」と、急にスイッチが入っちゃった子が意外といるのです。

 

そのような話を聞く機会がないからであって、きっかけさえあれば、いいのではないのかなと。だから、小冊子や、研修、ホームページなどを通じて、見たり聞いたりする機会というのを、作って差し上げなくてはいけないのではないかなという気がするのです。 

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『後継者を育てるということ』

藤原美津子: 以前、上野様が、研修所の所長様をされていた時に、「学生さんたちが寒い中、禊で水を浴びるのに、所長である私が暖かい布団に寝ていたら失礼だから、一番先に行って待ったのですよ。」とおっしゃっていたのが、とても印象的でした。よろしければそのときのお話をまたお聞かせ願いたく存じます。 

 

上野貞文様: 本来所長というのは、学生と一緒に禊ぎするというのはあり得ないことなのです、私の先輩も後輩もやっていません。だけど、私は、所長になる前から、研修所の授業は受け持っていたので、学生達が月初めに五十鈴川で禊ぎをするというのは承知しておりました。

ですから、辞令をもらったときに、「所長であっても、学生が五十鈴川の冷たい水に浸かって心身を清めておるのに、教育者が布団の中でぬくぬくと過ごしていていいものだろうか。」というようなことをピンと感じまして、とにかく先輩後輩は別として、私が所長でいる限りは、いつでも学生が入るときには禊ぎするのだと決めました。

 

毎年二月の六日から九日まで、神社本庁があちらこちらの養成所の学生を集めて、ここで総合的に合同研修をするのです。 

 

藤原美津子: そうなのですか。一番寒いときですね。

五十鈴川

上野貞文様: そうなのです。二月の六日から九日、そのときに欠かさず学生と一緒に、明け方に禊ぎをするのですよ。よそから付いて来た先生方は、川べりで見ているわけです。私は所長だったけれども、川の中へ入って禊ぎをしました。茹で蛸みたいに真っ赤になっておりました。厳しいですよね。手指がかじかんで動かないのです。だけど、一度もそれを外したことはなかった。

 

藤原美津子: 上野様から、後進の方々にいろいろなご体験などをお伝えいただくことで、未来に向けての大きなお力をいただけるように思います。

 

上野貞文様: 私は幸いに、これからも十二の別宮を今年から来年の三月にかけて遷宮していかなくてはいけないのです。

 

藤原美津子: まだ続いてらっしゃるのですか。 

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上野貞文様: 

続いているのです。あと十二残っています。 

 

祭儀部長のときには、ご神体を移さなくてはいけないので、神様の御殿のすぐ側におりました。

 

新しい方…そのときに奉仕する者が三十数名おりますが、一人一人が御門の御扉のところまで来て、深く一礼して下がります。

「召し立て」と名前を呼ばれてそこに行って、神様にご奉仕させていただくというご挨拶をする。その姿を見ているわけです。神様の目線で、私も分かってしまうのです。本当に事務的に一礼しているのか、二十年に一回の大切な儀式に過ちのないよう真剣にご奉仕しようとしているのか、一礼で分かるのです。「神様はこんなふうに私のこともご覧になっているのだな」と思って、恐ろしくなってきました。 

 

藤原美津子: 本当にそうですね。

 

上野貞文様: それから、次世代の教育ということについては、教育勅語を抜きに語れません。教育勅語には、神道を中心にしてやろうというような、宗教のにおいは一切なく、主義主張も偏ったものは一切ないです。先祖がずっと守ってきたものを、我々もまた守って行きましょうという文面です。「朕惟ふに我か皇祖皇宗國を肇むること宏遠に…」とありますし、中には、「夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己れを持し、博愛衆に及ぼし」と、みんな善いことばかりが並んでいるのです。 

 

今の日本は、そのような人間として守らないといけないことを、いまだに抹殺してしまっています。昭和二十三年のときに国会で抹殺してそのままです。放ってあります。 

藤原美津子: ただ、不思議なことに、ストレートに「教育勅語」という言葉を使うと議会が紛糾して駄目なのだそうですけど、「親を敬え」とか「兄弟仲良く夫婦相和し」とか、同じ中身で言葉を変えて言うと、共産党の議員でも拍手喝采なのだそうですね。だから、言い方を変えればもう一度復活させることはできるのではないかと藤原は申しているのです。 

 

上野貞文様: そうですね。あれは国民道徳の最高のものです。内容としてもあれ以上のものはないです。私も国民道徳・国民精神高揚運動をいたしましたけれど、ドイツなど、外国の人が戦後、教育勅語を参考にしているのです。日本だけです、放ったらかしにしているのは。勿体なくもこんなに立派な教育指針をいまだに認めようとしない。これでは、いい加減な国民しかできません。 

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