神様に、母の安楽死を願い出た人の話
今日は、少し変わった話です。
神様に、お母さんの安楽死を
願い出た方の話です。
同じ立場の方からみたら
大変に重い話を例にとってしまいました。
ですから「神様の前では自分を偽らない」
という点だけに注目して
読んで頂いたらと思います。
「ウソつきは、泥棒の始まり」
とウソをつくことを
厳しく戒める言葉がありますが、
人は、神様の前でも つい自分を偽ることがあるようです。
しかしそれは時として 自分で自分の首を 締めるような結果になります。
こんな事がありました。
「母の身体が、どうかよくなりますように」 という祈願に、新幹線などを使って 五時間以上もかけて来られた方がいました。
しかしどうもその方の願いが 神様の前で「ぴたっ」と合わないのです。
神様からも、 「(この方の)願いは別にある」 と出られたので、
失礼ながら 「お母さんは何歳ですか? 今、どんな具合なのですか?」 とお尋ねしました。
「母は、現在85歳で、もう10年近く 寝たきりに近い状態です。 最近はかなりひどい痴呆も出ています」
あれ?この方のお母さんは、
ある理由があって、死ねないけれど
肉体としての寿命は近いのでは?
と感じたので
「ひょっとしたら、あなたの願いは お母さんが苦しまずに 安らかに旅立てるように ではないですか?」
しかし相手の方は、 「いえ、ぜひとも母の身体を よくしてほしいのです。」 と譲りませんでした。
しかし何度神様の前で合わせてみても、 その方の中からは、
「これ以上、母に生きられると 面倒を見ている妻が大変だから 本当は回復などされては困る。
しかし自分の親に早く死んで欲しい というと神様に叱られるだろうから。
母が寿命なら、神様に願えば、
安らかに旅立たせてくれるだろう」 という心の声が聞こえるのです。
神様からも 「いい旅立ちをさせて欲しいと 願うことは、必ずしも親不孝ではない」 と出られましたが、
(おそらく寿命が近かったのでしょう)
それでもその方は 「いえ、ぜひ命を助けて欲しいのです」 を繰り返すのみでした。
それを何度か繰り返しているときに 神様から、こう出られました。
「そうか、そこまで言うのなら この人の
「命を助けて欲しい」の言葉は、 「早く旅立たせて欲しい」 の意と受け取ろう。
しかしこの先に、 仮に家族が事故に遭い、
神に、「命を助けて欲しい」と願った時にも その意味のまま発動するが それで良いのだな」
これがこのまま発動したら 大変なことになるので、 こちらから神様にお詫びをして この方の祈願はお断りしました。
この方の人生の中で、 神様に「どうか命を助けて下さい!」 と願う場面が、この先 皆無とは思えなかったからです。
しかし一ヶ月ほどして、
とても晴れやかな声で
その方から電話がありました。
「お蔭様で、母はとても安らかに
息を引き取りました」
この方の人生には、
その先、関わっていません。
どうでしょうか。
今日は、少し変わった話になりましたが、 心とは、違う言葉で祈願をすると、
思いもかけない落とし穴に はまる危険があると思いませんか?
神様の前では、自分を偽らずが 大原則ですね。
もし同じお立場の方が願うならば
「母の命の尊厳を守る生き方、
旅立ち方が、どうか出来ますように」
ではないでしょうか。
そして「最後まで真心を尽くせますように」
と自分や家族の心と身体と経済の健康などを
同時に願うこと・・でしょうか。
【注】安らかに旅だたせてほしい
という祈願は一切受けてはおりません。
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