神気を感じられる瞬間とは
「神様がいてくれたらいいな」
と思う半面、
人の口から聞かされる「カミサマ」は、
何だかあやしげで、イヤだ、
と思ったことはありませんか?
実は、私がそうでした。
自分の心の奧には、
動かしがたい大きさ、重さで
神様は厳然と存在するのに、
それにぴったりと合う感覚に、
なかなか出会えない。
人の口を通じて聞かされる「神様」は、
なぜか軽くて近づきたくない。
それは、なぜ?
神様は、自分の想像の中だけの
存在なのだろうか?
神様は、純真な子供の頃にだけ、
見えるものなのだろうか?
そう思い悩むことはありませんか?
大人になったら、
そんな夢のようなことを
思ってはいけない。
だから多くの人が、
神と出会うことをあきらめ、
現実にのみ生きて、
地位や名誉や財産に、
大きな価値を見いだしていくのでしょう。
もちろんそれらも人としての成功に
欠かせない要素かもしれません。
しかしなにか心の中に、
満たされないものがある。
そんなときに私は、師に出会いました。
そして師と神社にお参りしたときに、
同じ神社でも、
今まで自分が知っている境内とは、
まったく違う空間がある
ということを体験したのです。
早朝の神社参拝の荘厳さ、
一日にいくつもの神社にお参りして、
夕闇が近づいている時刻に
ひと気のない神社をたずねたとき、
境内に漂う何ともいえない神気。
あぁ、私が求めていたのは、
この世界、この空間だったのだ
と感じたのです。
「今、神と共にいる」
という実感がそこにありました。
不思議な感覚でした。
今いる、この空間はなんだろうか?
そう思っていたとき、
観光バスがついて、
ツアーの方たちが
ドヤドヤと降りてきました。
バシャパシャと境内を
背景に写真を撮っています。
あ、あの人たちと、
私は、全く別の空間にいる。
同じ時間、同じ場所にいるのに、
この違いは何なのだろうか。
『神の世界に入る』
というと何を大げさなと
言われるかもしれないのですが、
そんな体験ができることも事実なのです。
神気を感じるとき。
それは人の側が
すべて神に心を合わせて
その空間に溶け込んだときに
奇跡的に現れるのかもしれません。
師と参拝する時、
多くの経営者の方たちが、
今までに感じたことのない
何かを感じられます。
しかしさらに奥に、
師と二人の時だけに、
さらに神様がその本当の姿を現してくれる
そんな時もあるのです。