第三十話 三・一・一 に思う
今日は、本当はしきたりブログを更新する日です。 三月なので、お彼岸のこと、お墓参りの作法などについてアップする予定でしたが、どうしても別の話題を出す事が出来ませんでした。 今日三月十一日は、東日本大震災があった日です。 あの日、私の住んでいる小田原も、(事務所が海岸沿いにありますので)津波警報が鳴りっぱなしでした。そしていつもなら十分とかからず通り抜けられる国道一号線が、大変な渋滞で三十分以上身動きできず車を捨てて逃げる人もいたほどでした。もしもこの時に大きな津波が来ていたら命はありませんでした。
だから今日、三月十一日は、他人事ではないと思っています。東北の方にとって失われた命、失われた家族、それは何年経ってもその時の悲しみは消えることはないでしょう。 しかし離れた土地に住んでいて、自分の家族や知人に被害がなかったとしても、今日は同じ日本人として心を正し、命に向き合う日であるべきではないかと思うのです。 あの四年前の東北大震災の時には、自分の家族や親戚、知人が東北にいなかったとしても、自分の家族が重大な危機に見舞われたような、そんな感覚になった方はたくさんいらっしゃったでしょう。それぞれの家庭という単位ではなく、日本という一つの家族、その家族が大変な目にあっているのだという、普段感じたことが無い感覚といっていいかもしれません。 その時の自分の奥から突き上げられるような感覚、それは一人ひとりが普段は別々に暮らしているようだけれど、危機に際して、同じ日本人という血、日本人の魂に、スイッチが入ったからではないでしょうか。これは見過ごしに出来ないと、たくさんの方が、東北の支援の為に何らかの形で動かれました。 もし今、その時の思いが薄れていたとしても、今日は三月十一日、「同じ日本人として、何が出来る?」と自らに問いかけ、動かれた時の気持ちを思いだして頂きたいのです。それは、今、命を貰っている私達が考え、なすべき事ではないでしょうか。