第二十六話 訃報を後から知ったときに

前会長である主人が旅立ってから、早五ヶ月、こんなにも長い間ブログの更新をしていないことに気がつきました。 冠婚葬祭の言葉通りに、人生には出会いもあれば、別れもある。楽しい時、嬉しい時もあれば、悲しみもある。それらは人生にとって色々な味付けをしてくれるものと分かっていながら、「大切な人との別れ」の当事者になってしまった時には、表面は明るく振舞っていても、悲しみは奥底に深く沈んでいるものです。 そんな時に、さりげない優しさは本当に心にしみるもの、こんな時こそ「心を添えてくれる」ことがいかに優しく、美しいことなのかと身をもって体験いたしましたのでご紹介したいと思います。

過日、主人の訃報を喪中はがきで知った方が、電話をくれました。「もう一段落していると思うけれど、そのままでは私の気持ちがすまないので、お花を贈らせて貰おうと思うの」と。いつもは快活なその方に似合わない少し沈んだ声でしたが、その電話を通して聞こえてくる声には、本当にいたわりと優しさが込められていました。 盛り花を送って下さるのかと思っていたら、可憐な花が描かれているのし袋に「お花料」と書かれてありました。葬儀などの時にも、お花などに対してのお返しはしないので、形式にこだわらずに「気持ちだけ受け取って」そう言っているようでした。 もっと遡って、義父が旅立った時にも、やはり喪中葉書にてそれを知ったと、「心ばかりですがお父様のご仏前にお供え下さい。心よりご冥福をお祈り致します」と手紙を添えて、お線香や木箱入りのろうそくなどを送って下さった方たちがいらっしゃいました。その優しさがとてもありがたかったことを今も思い出します。 一般には訃報を後から知った場合に、お香典を送りたいという場合に「お花料」という名目で包むこともあるようです。またキリスト教の場合には「お花料」と書くとも言われます。 こうした場合の上書きは、何と書いたらよいのかとやはり悩みますね。 地方によって、この時期を過ぎたら「御霊前」ではなく「ご仏前」にするなどの決まり事も微妙に異なります。それはその地元の習慣に合わせてするほうがよいと思いますので、地元の方や親戚の方等にお尋ねしてそれに従うのでよいと思います。 ただ、形式は大切ですが、旅立たれた方に対しての真心、残された家族に対するいたわりの心を添えられる方が何倍もありがたいもの。人の心の痛みを感じられる日本人ならではの優しさは、こんな時こそ本当に生きるものです。 それまでは、年末の慌ただしさに、喪中葉書が届けば、「この方には来年の年賀状を出せないのだなぁ。」と思うだけで終わっていたことが恥ずかしくなります。 悲しみを知るからこそ、相手の方の悲しみの心がわかり、さりげないいたわりの心を添えられるのかもしれませんね。

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