第14号 生きた祈願と、気休めの祈願
**今日の開運ポイント******************
願いは、叶う
しかしそれは活きた祈願をした場合
気休めの祈願とは、どこが違うのか
詳しくは本文にて
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■ 本題 生きた祈願と、気休めの祈願 ━━
初詣に行くと、混んでいる中にもかかわらず
長々とお願いをしている人を見かけます。
それなのに、神社を出るまではおろか、
境内を歩いている間に忘れてしまう_…。
そんな事はありませんか。
人の願い事は、仕事、健康、家族関係、
良縁、学業などたくさんありますから、
その年の祈願となるとついつい、
「あれも、これも」と欲張りたくなります。
でも、「自分が本気で望んでいること」
そして「それに対して自ら努力出来ること」でなければ、
その場限りの気休めの祈願になってしまうでしょう。
私の所でも、二月の祈年祭(祈願祭)で祈願したことに対して、
十一月二十三日の新嘗祭(にいなめさい)に
感謝文を御神前に供えて祝詞を奏上します。
叶った祈願ならばお礼を申し上げ、
まだそれが成就の途中であれば
引き続きお願いをしていきます。
しかし、中には二月の祈年祭に
何を祈願したか、覚えていない人がいます。
本気で叶えたいことは、
「寝ても覚めても」頭から離れないはずです。
これを叶えるためにはどうしたらいいか、
日々行動しながらも考え、工夫し、
自分一人の力で足りなければ、
どんな協力者が必要か知恵を絞るでしょう。
だからこそ、その積み上げがある一定以上になった時、
物事が成就に向けて急速に動き出すのです。
成功した人は、「ある時期を境に突然道が開けた。
運が開けた」と言います。
願いを叶えるためには、自分も全力を挙げて努力すべきでしょう。
しかしそれだけでは、本当の意味での道は開けない。
「運」や「縁」そうしたことの力を得て大きく飛躍するからです。
だから祈願するのです。
生きた祈願とは、そういうものです。
二月の後半には、それぞれの神社で
祈年祭といって、その年一年の祈願をするお祭りがあります。
自分が本当に叶えたいことを見直す今はいい時期なのです。
**今日の開運の鍵********
活きた祈願をして、願いを叶えよう
気休めの祈願は、あくまで気休めに終わる
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